
自分らしく生きる、その手から生まれる器と出会って
手のひらに乗せると、ずしりと重い。けれど、あたたかい。
安田さんの器を手に取るたび、いつもそう感じます。
出会いは、東大宮にある、無添加の食材を扱うショップ併設のカフェでした。買い物のついでに、コーヒーを一杯。そのつもりが、併設のギャラリーで開かれていた陶芸の展示会に、足が止まりました。
千葉県長柄町、六地蔵窯。安田さんの作品でした。
その日は、蓮根のように穴の開いた、花をいける小さな器を一つ購入しました。

カフェのオーナーさんとお話ししていると、「明日、安田さんご本人がお店にいらっしゃいますよ」と教えていただきました。
帰宅してからも、あのコーヒーカップや、他の器のことが頭を離れません。気づけば翌日、また同じ道を歩いていました。
そこで、安田さんご本人と出会いました。穏やかで、温かい。でも、目の奥には、しっかりとした芯がある方でした。少し話すと、同い年だとわかりました。器を見れば見るほど、その人柄がそのまま形になっている気がして、そろいの湯呑み、片口、小ぶりな急須と、次々に手に取っていました。
その中でも、あの持ち手つきの器だけは、どうしても諦めきれず、さらに翌日、また足を運んで買い求めました。手に取ると、じんわりとしたあたたかさが伝わってくる。そんな器でした。
同じ土から生まれたとは思えないほど、一つひとつ違う顔をしています。


片口は、赤茶色から灰褐色へ。急須には、炎が流れた跡が、そのまま模様になっている。同じ窯、同じ時間を過ごしても、置かれた場所でこれほど表情が変わるのかと、手に取るたびに驚かされます。
釉薬は、使いません。
赤松の炎と灰と煙に、長い時間さらされて、土が器へと姿を変えていく。「焼締陶(やきしめとう)」というのだと、リーフレットに書いてありました。鹿児島で生まれ、備前焼の作家のもとで学び、千葉の地に窯を構えた。飾らない、けれど芯のある佇まい。器も、安田さんご本人も、同じでした。
本物とは、なんでしょうか。
値段ではありません。肩書きでもありません。見栄えでも、ない。
本物とは、見せるために作られていないもの。自然が長い時間をかけて育てたもの、人が心を込めてつくったもの。それだけが、本物なのだと思います。
炎と土に委ねられ、飾ることを拒んだ安田さんの器は、そのことを、何も語らずに教えてくれます。
先日、賑やかな食事の席で、あの持ち手つきの器が、サシミの大皿をどっしりと支えているのを見かけました。飾るためだけの器ではない。日々の食卓に、自然と馴染んでいる。

そして、突然、安田さんご本人が会社を訪ねてきてくださいました。作品を手に、わざわざ。
出会いというのは、思いがけないところからやってくるものです。買い物のついでの、コーヒー一杯。その先に、こんな出会いが待っているとは、思ってもいませんでした。
器を手に取るたび、心が、すこし豊かになります。
そして最近、あることに気づきました。畑の土に触れる時間。権現堂の田んぼの土を踏みしめた時間。そして、この器を手にする時間。どれも、私の心を静かに整えてくれていたのだと。
頭で考えることをやめて、ただそこにあるものに、手を伸ばす。土をいじる。器に触れる。それだけのことが、乱れた心を、もとの形に戻してくれる。
心を整えるということは、特別なことではないのかもしれません。土に触れる。それだけで、じゅうぶんなのかもしれません。
いつか六地蔵窯に、足を運んでみたいと思います。土と向き合う、その場所に立てば、また新しい何かに気づける気がしています。
みなさんは最近、心を整えてくれる時間、ありますか。
今日も、心に光を。
T.Matsunaga
Founder & Representative / Best Brillanz




